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ttp://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090723/acd0907232049005-n1.htm
「石田三成家臣の武家屋敷跡が出土」
佐和山北東侍屋敷跡ということは、三の丸麓あたりでしょうか。
三の丸、五三桐の金具、三成が家臣に使用を許した、という記載をみると、つい左近を思い浮かべてしまうのは自然なことだ…と思いたいです。
三の丸、絵図によると左近の屋敷跡ですしね。
出土したのが五七桐だったらもっと面白かったかも。左近の家紋=五七桐と記載した史料もあるので。
まぁこれはかなり眉唾ものの史料なので、妄想のネタにしかなりませんが。
しかし安土桃山期の山城周辺の武家屋敷群って、どうなっていたのか非常に気になります。
伏見城の大名屋敷群のように、重臣クラスは複数屋敷を持っていたりしたんでしょうか。
金沢の場合、重臣は複数屋敷持っているようですが、金沢の町が完成したのは利常の時代だしなぁ。
しかも平山城だし。あまり参考にならないかもしれない。
通常、山城に大名は住まず、麓の屋敷で生活していたとよく聞くのですが。
城の縄張図は割と手に入りやすいのですが、山城で生活していた大名・家臣たちの生活ぶりがわかる資料はあまり見つからない気がします。
江戸時代になっても山城を拠点とし続けた大名の武家屋敷群などを参考にすればいいんだろうか。
「石田三成家臣の武家屋敷跡が出土」
佐和山北東侍屋敷跡ということは、三の丸麓あたりでしょうか。
三の丸、五三桐の金具、三成が家臣に使用を許した、という記載をみると、つい左近を思い浮かべてしまうのは自然なことだ…と思いたいです。
三の丸、絵図によると左近の屋敷跡ですしね。
出土したのが五七桐だったらもっと面白かったかも。左近の家紋=五七桐と記載した史料もあるので。
まぁこれはかなり眉唾ものの史料なので、妄想のネタにしかなりませんが。
しかし安土桃山期の山城周辺の武家屋敷群って、どうなっていたのか非常に気になります。
伏見城の大名屋敷群のように、重臣クラスは複数屋敷を持っていたりしたんでしょうか。
金沢の場合、重臣は複数屋敷持っているようですが、金沢の町が完成したのは利常の時代だしなぁ。
しかも平山城だし。あまり参考にならないかもしれない。
通常、山城に大名は住まず、麓の屋敷で生活していたとよく聞くのですが。
城の縄張図は割と手に入りやすいのですが、山城で生活していた大名・家臣たちの生活ぶりがわかる資料はあまり見つからない気がします。
江戸時代になっても山城を拠点とし続けた大名の武家屋敷群などを参考にすればいいんだろうか。
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