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01.16
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今年も残すところ2時間を切りました。
Gulistanを見てくださった皆様、お付き合い下さった皆様、本当にありがとうございます。
どうぞ皆様、良い年をお迎えくださいませ。

続きに実家の大掃除での発掘品を。
無印の頃にいろいろ書いてたフロッピーが出てきたのですよ。
いくつかネタになりそうなのが入っていたので、そのうち練り直してみようと思います。
ちなみに続き以下のお話、ほとんど創作戦国です。
無印お館様を引っ張ってきていますが、オリジナルが苦手な方はご注意ください。

web拍手、ありがとうございました!!



 山本勘介晴幸は、異相である。
 左目と、左の指二本と、右の足首から先がない。刀痕だらけの顔は受け口で唇が厚く、額と後頭部が張り出していて、横から見るとまるで黒光りする槌か砧を肩の上に乗っけて歩いているように見える。加えて極端な猫背で、しかも身の丈が五尺を少し出たくらいの小兵である。剃髪した頭は、明らかに手をかけていないことが見て取れるほどで、無精髯とどこで区別をつけたものか判断に迷うところだ。
 胡散臭さばかりが先に立つ風貌のこの男、しかし頭の方は恐ろしく切れる。

「下げた方が良かろうね」
 海野平の様子を見下ろしながら、勘介が言った。
「長尾景虎とか言うの、なかなかやるわ。面倒な戦になるゆえ、早いとこ下げた方が得だなあ」
「儂には優勢に見えるがなあ、勘介」
 武田晴信が、首を傾げながら言った。諏訪法性の兜と、鬼を模した面頬で顔を覆い隠している。11月の北信の、ぴいんと切るような寒さが、吐息を白く染めていた。
「羽州が、ほれ、見事に押しておる。このまま持つのではないか?」
「せいぜい四半時が、いいぐらいでしょうなあ。長尾の後備が追いつけば、押し返されましょうや。こちらの後備が追いつけば、また小山田様が押し返す。いやあな戦だ。力の削り合いの、削り合いだわ」
 ふうっと、勘介は大きくため息をついた。熾の残る火鉢のような金壺眼が、面倒そうに細められる。
「負けると思うか?」
「負けんでしょう。だが、勝ちもしない。痛み分けで再戦待ち、になるざんしょうねえ。おお嫌だ」
 今度は晴信が、吐息をついた。この時代の兵は、農民である。軍の中で、職業軍人としての武士が占める率は極めて低い。武田の場合、武士ひとりに対して八人から十人が足軽――すなわち農兵である。従って、兵の損失はそのまま米の取れ高に響いてくる。それに損失は兵だけではない。馬も矢も兵糧も、かなりの量が消費されるのだ、戦というやつは。
 それならば、できるだけ損失を出さずに戦をする方が良い。いかに損失を出さずに戦をするかということが、晴信にとっては重要だった。
 そして、損失を出さぬ戦をする法に、勘助は長けている。
「退こうかのう」
「退きましょうや」
 勘介は頷いた。晴信が貝持ちの兵に合図をするよりも先に、聞き慣れぬ調子の法螺が海野平に響いた。
怒号と馬蹄の轟きの間を縫って響くそれは、越後勢の退き貝の音であろう。
「あーあ。ほんに厄介な御仁のようだねえ、もう」
 億劫そうに勘介はごちた。長尾景虎の方も、この戦に益なしと見たらしい。ぶつかり合った時間を考えれば、いっそ潔いというほどの判断である。切り替えが早い男なのやも知れなかった。さっと攻めて、さっと退くという軍は、これまで武田勢は相手にしたことがない。真田幸隆あたりが得意な戦法だと、勘介は思った。だとしたら、この長尾景虎という男は、この先、武田の最大の障壁として立ちはだかってくる相手になるのかもしれない。
 勘介は、馬上の晴信を振り仰いだ。
「お屋形様」
 晴信が、振り返った。
「なかなか、侭ならぬものでござんすねえ」
 にいっ、と子供が夜泣きしそうな顔で、勘介が笑った。それでも妙な愛嬌があるのが、救いといえば救いだった。
 晴信も笑った。こちらは苦笑に近い。
「海を見るのは、もうしばらく先になりそうじゃな」
「左様で。よもや、あんな御仁が越後にござっしゃったとはねえ」

 晴信と勘助は海が欲しかった。それは甲斐に欠けている最も大きなものだった。
 周囲を峻険な山岳に囲まれた甲斐は、お世辞にも豊かな国とは言えない。米の取れ高だけ見れば、今川や北条にどうして対抗できるのか不思議なほどだ。甲斐性という言葉は、甲斐出身の若者たちが貧しさから這い上がるために身を粉にして働いた様から出ている。
 晴信のお膝元である古府中も、本来であれば稲作には向かぬ土地である。富士の灰が降り積もった古府中の土壌は養分に乏しく、米を作るには水はけが良すぎる。しかも、盆地の中央を流れる釜無川がとんでもない暴れ川で、少し長雨になるとたちまち堤防が決壊する。ひとたび氾濫が起これば、盆地の南側がすっかり洗い流されてしまう。晴信が甲斐の国主に就いてから行った大掛かりな改修工事で、氾濫は数こそ少なくなったが、それにしてもまだ完全ではないのだ。農民がそれだけで食っていくには、まだ足りない。
 ただ、鉱山資源が豊富なことが救いといえば救いだった。殊に、大量に産出する金が甲斐を支えている。いや金だけではない。銀、銅、鉄、鉛、そしてその他およそ有用性のある金属と言う金属が、甲信の山中には昏々と眠っているのである。副産物として出る水晶や柘榴石も、良質なものは高額で取引きされている。
 甲斐は税率が低いことで有名だが、すべては農民以外の収入源がたくさんあるという理由に帰結するのである。余裕がなければ善政など敷きたくても敷けぬ。
 海は、それによる交易は、甲斐にさらなる富をもたらすものだと、勘介は確信していた。海運の利点は、何よりもその積載量にある。陸では荷車を何台も仕立てて行かねばならぬが、海では一隻の船で済む。しかも疲労することも飼い葉を食うこともないのである。海の道を確保できれば、より大量の鉱物資源を外の市場へ運び、代わりに南蛮の技術や鉄砲など、より良いものを持ってくることもできるはずだ。

(いつまでも穴熊のように、甲斐の山ん中に籠ってちゃあ)
 それでは、武田はいずれ周囲を固める大名どもに蚕食されていくだけだ。甲斐を取り巻く山岳は、武田の防壁であると同時に封じ込める檻でもあるのだから。
 勘助は晴信を仰ぎ見る。虎と称せられる若い主は、じっと海野平の様子を見下ろしている。
 この男に羽をつけたら、どれほど痛快だろう。勘助はそう思う。
 甲斐の檻の中で、ひとつの盆地の領主として、あるいは甲信の盟主として一生を終わらせるには、晴信という男はあまりにも惜しい。
 けれども、それは才や器の大きさといったようなものではない。そのようなものはいくらでも移り変わることを、ずいぶん昔から勘助は知っている。
 晴信の夢見る王道楽土も理想も、はっきり言って勘助にはどうでも良いことだ。
 ただ、晴信は面白い。羽の付いた虎が空を飛べば、きっと世の中がひっくり返る。
 どうせなら、そのひっくり返った世の中を見てみたいじゃあないか。


 虎は風を従えて千里を翔る。海を手に入れるのは、天翔る虎がたゆまぬ風を手に入れるため。
 願わくば虎の羽に吹く風の、先魁のひと吹きとぞなれかし。

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