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05.15
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宗茂死亡設定で島津の退き口を書こうと思っていたのですが、どう見ても12/3までに間に合わないので、導入部だけ晒してみます。
2の義弘は個人的にすごく好きだったりします。性格的にも外見的にも重厚なタイプは好ましい。
3で立花夫妻とどう絡んでくるのか、また別の描かれ方をするのか、とても楽しみです。

ほんと「九州が注目されて良かったー!!」というような出来だといいなぁ。
島津と立花はいつ大河になってもおかしくないと思うんですけどね。
特に島津なんて官軍だったから非常に詳しい史料が残っていますし。
義弘中心で大河作って、最終回で幕末のあたりをちょこっと晒して、歴史は繋がっている的な構成にしたら面白いんじゃないか、と勝手に考えています。




 関ヶ原一帯に響く、山津波のような轟きは、人の足から生じていた。
「石田治部少輔様、落ちられた由! 藤堂、黒田らの軍が北国道を封鎖しております!!」
 本陣に駆け込んできた伝令が叫んだ。指物はなく、矢が何本も身体に突き立っていた。それきり倒れ、動かなくなる。友軍が崩壊していく地獄の中をかいくぐってきたのだ。戦場を駆ける伝令は真っ先に狙われるから、島津の陣にたどり着けただけでも僥倖。ましてや負け戦を考えれば、ここまで生きて来ることが出来たのは奇蹟にも近い。
 誰のものかもわからぬ血にまみれた伝令のなきがらを見下ろしながら、島津義弘は重厚な声で呟いた。
「―――さても、見事に負けたものよな」
 義弘は笑っていた。
 陣立てを見る限り、勝つ戦だった。数も地の利もこちらが押さえた。
 石田三成の軍師が組み立てた策は、軽く見えがちな態度からは思いも寄らぬほど的確で精緻で、間違いのないものだった。
 だからかもしれない。精密すぎるからくりが、螺旋のひとつが錆びただけで不具合が生じるように。
 どれほど素晴らしい軍略でも、配置した駒がすり替えられていたら、いくさも何もあったものではない。
(三成もとんだいかさまに嵌ったものだ)
 あの潔癖な男は、癖の悪い博奕になれていないのだろう。
 汚い博奕にはそれなりの勝ち方というものがあり、その方法を知る男も側にいたというのに、生かしきることができなかったのは石田三成という人間の生き方ゆえか。
 危ういほどにおのれの生き方を貫き通そうとする様は、ひとすじの風のような涼やかさを覚えるものではあったけれど。

 北で一段と高い鯨波が上がった。おそらく誰か名のある将が討ち取られたのであろう。
 先ほどから、石田の本陣があった付近で鯨波が上がることが多くなっている。石田の将兵どもが、時間稼ぎのために必死にそこで踏みとどまっているという。
 潮時だ―――そろそろ退かねば、こちらも後がなくなる。
「さて、どうする、立花の」
 義弘が、背後を振り返った。細い脚で大地を踏みしめていた花が、顔を上げる。
「落ちる」
 きっぱりと、立花誾千代は言った。煤と埃にまみれた白い顔は、それでも凛として美しい。
「九州に帰り、再起を図る。立花はまだ、散る花ではない」
 いっそ小気味よくさえある返事に、義弘は唇の端を釣り上げた。
 関ヶ原の北に位置する菩提山砦を落とし、そこを足掛かりに桃配山の徳川本陣を突こうとした誾千代だったが、果たせずにいったん退いていた。
 菩提山は、もともとこの関ヶ原一帯を治めていた竹中氏の根城である。
 ここしばらくはうち捨てられていたとはいえ、竹中半兵衛重晴が手を加えた縄張りは、堀切と堅堀を巧みに組み合わせて敵を寄せ付けぬ。そして、地の利もさることながら、菩提山砦を守っていたのは細川忠興である。茶の湯の腕前ばかりが取り沙汰されるが、この男、父親に似た戦と駆け引きの上手でもある。
 気がついたときには、立花の兵は砦の奥まで引き込まれ、砲術の名手として名高い稲富祐直が育てた鉄砲隊にさんざん狙い撃ちされていた。誾千代の鎧や鉢金にも、鉄砲が掠めた跡が残っている。家臣のひとりが、馬の面繋を掴んで無理に退かせなかったら、誾千代の命は消えていたかもしれぬ。
 さらに不運なことに、退却途中に稲姫率いる奇襲部隊と遭遇してしまった。何とか撃退はできたが、これでさらに兵は減った。
 島津の陣までたどり着いたとき、誾千代に従う兵は半数も残っていなかった。戦死したか乱戦の中ではぐれたか、いずれにしろ誾千代に確かめる余裕はない。生き残っていて運が良ければ、九州で会うこともできよう―――最も、立花家がどうなるかまでは、まだわからないのであるが。

 頬の汚れを手の甲で拭って、誾千代は舌打ちした。
「武功のひとつも立てられなんだは業腹ではあるが、仕方あるまい」
「功がないのが不満なれば、作ればよい」
 誾千代の鋭い視線を受け止めて、義弘は唇の端を歪めた。
「博奕に乗る気はあるか、お嬢」
「博奕だと?」
「おお、この戦最後の大博奕よ」
 義弘はにやりと笑った。獰猛な笑みだった。
「どうせ九州に帰り着いても、この咎で罰せられるは必定。ならばせいぜい徳川の肝を冷やして、我らを敵に回す不利を示すとしようぞ」
 一度、鷹のように関ヶ原全体へ視線を巡らせて、義弘は鋭く言った。
「伊勢街道へ抜ける」
「正気か、戦屋?」
 誾千代が唸った。伊勢街道方面は、徳川家康や小早川秀秋ら東軍の主力が集まっている。その数およそ十万。
 対して島津の兵は、立花の兵と合わせても二千がいいところ。そこへ飛び込めば、全滅は必至だ。
「北国街道へ抜ける方が、兵の危険は少なかろう」
「逆だ、立花の。北国街道は、これから東のやつばらが佐和山に向かって進もう。なれば関ヶ原を抜けたところで、いずれは追いつかれる」
 佐和山は、関ヶ原からわずかに五里先、北国街道と中山道とが合流する地にある。
 佐和山が落ちれば、次に東軍が槍を向けるのは、おそらく京・大坂と大谷吉継の領地の敦賀である。
 伊勢街道は、東軍の進路とは逆方向だ。わざわざ追撃するほど島津兵は多いわけでもない。おそらく関ヶ原を抜ければ、東軍は追ってくるまい。それに伊勢には、交易を通じて島津と縁のある商人や海の民もいる。たとえ伊勢がすでに東軍方に落ちていたとしても、山さえ越えることができれば堺や雑賀などの湊もある。油断はできぬが、伊賀の山の急峻は、島津と立花の兵をきっと隠してくれるはずだ。
 ひたと義弘を見据えた誾千代が、切りつけるように訊いた。
「抜けられるか?」
「臆したかな、誾千代や」
 からかうように義弘が言うと、誾千代の目つきがきっと鋭くなった。
「死んでも惜しまれぬ貴様と一緒にするな。私が戻らねば、立花が生かさねばならぬ者らが死ぬ。それとわかって犬死することはできぬ」
「そうか、お主はそうであったな。そのくせあまりに無謀をやらかすのでつい忘れておった」
「どうやら耄碌したか、義弘。老残を晒すのも哀れだ。その皺首、今ここで切り離してやるのが慈悲というものか」
「おお、恐ろしい。まだまだ閻魔大王の元へ帰るには―――」
「ああもうっ!! じゃれあっている場合ですかッ!!! 伯父上、誾千代殿」
 放っておいたら延々と続きそうな義弘と誾千代の応酬を、島津豊久が強い調子で遮った。
「結局、どうなさるのです。伊勢街道に抜けるのでよろしいのですか?」
「うむ」
「………異存はない」
 義弘に続いて、誾千代も頷いた。ふたりを見返して、豊久も頷く。
「引き際こそ武辺の誉れよ。この地獄こそ鬼の住処。我らのいくるべき涯」
 巌のような体躯が、ゆっくりと陣の入り口へと移動する。水が退くように島津の兵たちが道を空けた。これから、東軍の兵どもが同じように道を空けるのだ。
 不吉に立ちのぼる土煙の中、小魚の大群のように槍の穂先が光っているのが見える。。
「それにしても」
 ふと、義弘が北を振り仰いだ。皺深い顔に、得も言われぬ色が過ぎって消える。
「儂に兵の五千もあれば、負けを勝ちにもできようものを」
 惜しいものよな、という呟きは、果たして戦だけに向けられたものか。
 血なまぐさい颪が、びょうと吹き抜けた。
 おのれの袂で渦巻く人馬と刃の怒濤を、伊吹山が泰然と見下ろしている。
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