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05.15
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佐和山城の怪異の話。その2。




 それから十日ほど日が過ぎ、佐和山城の本丸屋敷の書院に、床につく三成の姿がある。
 すでに夜は更け、時折老女のしわぶきにも似た梟の声が、どこからか聞こえてくる。
 奇妙に寝苦しい夜であった。暑いというわけではないが、どことなく空気が重くねとついている。
 じっとしていても、知らず口を開けて息をしているような―――そんな、何とも形容し難い息苦しさがあった。
 三成もまた、うまく寝付けずにいた。中途半端に疲労しているときのように、浅い眠りと覚醒とを繰り返している。
 神経の先を鑢でさりさりと削られているような不快感が、三成の感覚をひどく敏いものにしていた。

 亥の刻を過ぎたぐらいであったろうか。
 もう何度目かも知れぬ寝返りを打ったときである。ふと、何とはなしに開けた三成の薄目が、蚊帳の外に何かを捉えた。
(―――何だ?)
 部屋の隅、廊下に最も近いあたりの一角が、妙に暗い。障子の白さに、何かの影がより黒々と見えているのだと思ったのだが。
(見間違いか? ―――いや)
 三成は眉を顰めた。それは、確かに形を持つものであった。神前に供える餅のように大きく、丸い闇の塊である。
 それが、書院の最も外に近い一角に、じっと蹲っている。
 身を起こさぬまま、しばらくその闇の様子を窺っていた三成が、ふと小さく息を吐き出した。隠しようもない呆れの色がある。
 なるほど、確かに佐和山の城に化け物とやらはいたらしい。でんと転がっているだけの、妙ちきりんな黒饅頭だが。
(くだらぬな)
 とはいえ、出くわしたことの意義は大きい。実際の経験ほど雄弁なものはないからだ。
 噂の根を絶つ端緒になるかどうかはともかく、城に仕える者たちを安心させることはできそうだ―――と、三成がそこまで考えたときである。
 唐突に、闇が撓んだ。膝ぐらいの高さであったものが、むくむくと大きく膨れあがる。人の背丈ほどに伸びたものが、水を入れた革袋のように数度、重たげに揺れたと見えた転瞬、闇はたちまちに人の姿をとった。
(子供?)
 夜目にも白い帷子を着た童子であった。質の悪い塩のように青黒い肌をしている。
 三成は、動かぬ。じっと、洞のように冥い童子の目を見ている。童子もまた三成を見ているようであった。
 しばし睨み合いが続いていたところ、突然童子の口が柘榴の実のように裂けて、血の色の赤を覗かせた。―――嗤ったのだ。
 ぐ、と三成の喉から鈍い呼気の音が漏れた。項の毛がざっと逆立つ。皮膚の下が硬く凝ったかのように身体が動かなくなった。
 人が獣であった頃からある根源的な何かが、狂ったように警鐘を鳴らしている。あれは危険なものだ、早く逃げろと。

 みしり、と小さな足に踏みしめられた畳が音を立てた。童子のものとは思えぬ、重さのある跫音であった。
 童子が、ずるずると三成の方へと近付き、蚊帳の前でぴたりと足を止めた。肌の色合いを見なければ、愛らしくさえある小さな手が、蚊帳に触れる。
 刹那―――
 閃光が奔った。稲妻のような白が夜闇を駆逐する。
 童子の指が触れた蚊帳の面に添って激しい炎の壁が生じ、白い光とともに童子が燃え上がった。
 身の毛もよだつような絶叫とともに、屋敷が大きく揺れる。障子や襖が、強い風を受けたときのように激しく軋んだ。
 障子が数枚、内側から吹き飛び、童子の姿が掻き消える。だん、どん、と重さのあるものを叩きつけるような音が数度聞こえて、また静寂が戻った。
 夜気の涼やかさを感じた一瞬の後、人の騒ぐ声と、ばたばたと廊下を駆ける音が聞こえてきて、三成はようやく吐息をついた。
 動悸がひどかった。血潮がおのれの肌の下を巡る勢いとは、かくも強いものであったかと思うほどに。
「殿! ご無事―――!」
 駆けつけた者たちの先頭に、左近がいた。脇差ひとつを手に、蚊帳をはねのけて三成の側へ寄る。
 あれほど激しい炎であったにも関わらず、蚊帳には焦げのひとつもなかった。
 手燭を持ち込んだ者がねむり灯籠に火を入れ、部屋の中が明るくなる。床の上に身を起こした三成の顔色は、さすがに憔悴を帯びて青ざめていた。
 落ちかかる髪を掻上げようとして、三成は自分の全身が汗に濡れていたことに気づく。額を夜着の袖で拭って、三成は大きく吐息をついた。
「殿、先ほどの音は? いったい何があったのです?」
「………俺が聞きたい」
 左近の問いに、三成は憮然として答えた。物を言うにはまだ、頭も心も整理がついていない。
 しくしくと痛み出した胃の腑のあたりを押さえつつ、三成は顔をしかめた。
(何だったのだ、あれは)
 夜中に目が覚めたら部屋の隅に奇妙な童子が現れて、いきなり炎に巻かれて退散した―――起こった出来事を説明するならば、それだけのことだ。
 おそらくあの童子が、件の「佐和山城の化け物」であることは間違いないのだろうが、あの炎はいったい何のはたらきだ。

 そう、炎。蚊帳へ触れたあやかしを退けた、白い浄火。
(―――炎?)
 三成の脳裏にふと、閃いたものがある。
(まさか―――いや、しかし)
 ―――つみとがもやきほろぼさんちかひにてほのほのなかにたちませるみを
 明王の纏う炎の名を、迦楼羅の炎と呼ぶ。迦楼羅天の吐き出す、人の世の煩悩と諸悪のことごとくを焼き浄める烈しい火焔。
 数ある明王の中でも、炎そのものの化身とされ、不浄を炎によりて清浄とすることを最大の功徳とする明王の名を何と呼んだか。

「左近」
 三成の指が、すと部屋の奥を指した。
「あれを―――文箱を取ってこい」
 指し示す先に違い棚があり、漆塗りの文箱が乗っている。
 訝しげに眉を寄せた左近だが、すぐに立ち上がりその文箱を取ってきた。三成へ差し出す。
 どこか気怠げな所作で文箱を確かめた三成の目が、すっと細くなった。舌打ち。
「見てみろ、左近」
 文箱を左近へ差し出した三成が、苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。
 受け取った左近が、文箱の中へ目を落として―――絶句した。
「何です、こりゃ」
 文箱の中は真っ黒に焼け焦げていた。文字と奇妙な文様を書き付けた札が、灰に埋もれて残っている。
 左近がその札をつまみ上げると、札は半分にちぎれて、蝶のように白く燃え上がり、灰も残さずに消えてしまった。
 奇妙な沈黙が落ちた。その場にいる者すべてが、息を呑んで三成を見つめている。
「―――殿」
 ややあって、左近が促すように声を掛けた。
「………化け物が出た」
 少しして、ぽつんと独語のような返答が返る。
 片手で前髪を掻き上げ、大きくため息をついた三成が、左近に苦々しげな視線を寄越した。
「俺はその札に助けられたらしいぞ」
 見ろ、謙信公の霊験は灼然であっただろう―――もしも今、親友がこの場に居合わせたなら、いつものしたり顔でそう言ったことだろう。
 北方の守護。天界にありて火生三昧を住居とし、あらゆる不浄を焼き尽くし清浄と成す劫火を纏う一面六臂。
 天竺にありては火神、比叡山において五大明王の一座とするその明王の名を、烏枢沙摩明王と呼ぶ。
 ―――その札は、兼続がくれた烏枢沙摩明王の護符であった。

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