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07.23
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そうかやっぱりたまきは珠がモデルでしたか…。この子が柳生連也斎の母になるのか(笑) 
柳生連也斎とは、左近の孫で新陰流の5世。新陰流を完成させた人と言われています。
ちなみに新陰流4世は徳川義直です。ここらの関係性とか、家光の前での御前試合とか、非常に面白い。
関ヶ原での敵の子孫同士の対峙ですよ。最高に萌えるじゃないですか。
確か連也斎が主人公の小説がいくつかあったと思うので、そのうち読んでみようと思います。
 
采配、ネタバレ完全回避は難しいと思うので、ネタバレ読んでの想像と実物との差を楽しむことにします。
だじゃれ好きな殿というのは新境地だ。島親子にさっぶい目で見られてたりするんでしょうか。
来月頭購入予定。早く日が過ぎないものか。
 
 
以下に伏見レポを。
箇条書きです。



・新幹線で上洛の凜さん、笹さんと京都駅で待ち合わせ。バスで京都駅に向かったら、連休初日の交通渋滞に巻き込まれ、約束の時間から遅れた挙げ句、作成した資料を部屋に置き忘れる(←前日までにしっかり準備しましょう)。
・気を取り直して伏見桃山へ移動。やはり連休初日だけあって電車も混雑。恐れていた天気は微妙な感じでした。

・近鉄桃山御陵駅から城攻め開始。まずは御香宮へ。
表門(伏見城大手門)や内部の建築物などをしばし鑑賞。ちょうどお祭りの期間中だったので、境内には所狭しと屋台が建ち並んでいました。御朱印をもらって、大手筋沿いに山へ。
・ちなみに大手筋界隈は、伏見城築城時からあまり道が変化していません。
特に御香宮周辺は(割と)有名大名の屋敷跡が多いので、道すがら小早川秀秋屋敷跡(御香宮境内)、片桐且元屋敷跡、前田利家屋敷跡、鍋島勝茂屋敷跡、浅井幸長屋敷跡、結城秀康屋敷跡の場所など説明しながら伏見桃山城へ(大名屋敷のおおよその目安は、要請があれば書き込みます)。
・資料と一緒にアンチョコ忘れたのはやはり痛かった。
説明途中で自分が武将名を読みではなく、漢字の字面で把握していることが判明。榊原康政とか酒井忠次とか、苗字しか思い出せませんでした。情けない。

・治部少郭の側面の高級住宅地を上りつつ、伏見桃山城(長束大蔵郭)へ。途中の石田さん家は某警備会社が警備しているお屋敷でした。あのお宅の住所をちょっと知りたかったです(治部少丸だったら面白いけど…)。
・ところで、伏見桃山城の南駐車場入り口は、伏見城の西門あたりに相当します。
伏見桃山城へ行く前に、遊歩道へ少し入って治部池へ。ちなみに治部池には鎧武者の幽霊が出るとの噂があります。大手門に近く、大軍が展開できる場所でもあったため、伏見城の戦いの際に治部少丸周辺は激戦区となっていたらしい(実際に治部少丸南西方面から、焼けた土や瓦が出土しています)。

・三人で決死隊だと笑っているうちに伏見桃山城へ到着。大手門の下で、しばし模擬天守を眺める。
・が、直後に凜さんに異変。どうやら、服に付いていた蜂に刺されてしまったようです。
・付近に蜂の巣がありそうな場所でもないのに…ひょっとしてさっきの治部池で? と思いつつ、山の上では何もできないので、下山して病院へ向かうことに。
・途中、凜さんの腕が危険なくらい腫れ上がってきたので、慌てて足を速めたのですが、凜さん笹さんの機転で途中の小学校へ駆け込み、職員室にいらっしゃった方のご厚意で救急病院へ。ちょうどレンタサイクルの配送も連休の混雑で遅れていたこともあり、キャンセルして今後の予定を組み直すことにしました。

・送ってもらった先の病院は伊達政宗下屋敷の南、伊達町の信号のすぐ隣でした。
敷地は信長9男と山岡景以という人の屋敷跡らしいですが。予定では伏見桃山城のあと、政宗上屋敷跡(海宝寺)へ向かうはずだったので、偶然と言えばすごい偶然だと思いました。
・待ち時間に行けそうな場所をチェック。藤森・墨染周辺は通過したことしかない。

・凜さんの治療も無事終わり、とりあえず近場で面白そうなところということで、藤森神社へ。
・流鏑馬と馬の曲乗りで有名な神社です。翌日の流鏑馬に使う馬場を見つつ、資料館も見学。
武具の展示の中で、やはり大筒が目を惹きました。鳥羽伏見の戦いで使用されていた大砲は、存外小さかった。個人的には茶室刀の展示が面白かった。お茶室には刀を持ち込めないので、刀の代わりに差した木刀です。

・以降、京阪で大手筋へ戻って鳥せいでお昼ご飯。中書島や濠川、寺田屋あたりをうろうろ。
十石船の名前で盛り上がりました。「秀吉」号に果たして三成は乗れるのかとか。
・最後はお祭りの花傘巡行をしばらく眺め、京都駅へ戻ってお開きとなりました。
 

***
 
あとで確認したところ、藤森神社に向かう際、真田信之屋敷の横を通過していたみたいです。当初は藤森方面に向かう予定ではなかったので、このあたり特に予習が足りずしどろもどろで非常に申し訳なかったです。だいぶ歩かせてしまいましたし。
遅刻しなかったらひょっとして…と思いますし、もう少し周辺情報をチェックしておくべきだったとも思います。
非常に楽しかったのですが、やはり反省点は多い。次回以降の糧にさせてもらおうと思います。

 
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